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有田芳生衆議院立候補

あのオウム真理教や旧統一教会、テレサテンなどのコメンテーターとして活躍していたジャーナリストのあの有田さんが衆議院山口4区補欠選挙に立候補するという報道がありました。

引用:excile
目次

有田さんの略歴

生い立ち

1952年2月20日 共産党員のご両親の間に生まれ。名前の由来は中学生の時知ったということですが、あのソ連のスターリンがヨシフ・スターリンだったことから有田さんは芳生(ヨシフ)という名前になったんだそうです。

京都生まれの京都育ち。立命館大学の経済学部卒の71歳。18歳で上田耕一郎(後の日本共産党副委員長)らの論文に感動し共産党員になり、大学卒業後に共産党系の新日本出版社の編集者として就職することになりました。

*出生地 現:京都市右京区京北周山町

新日本出版社からの追放

そして1980年に”文化評論”に当時の上田共産党副委員長と作家小田実の対談を掲載しました。公の場で小田さんが「市民運動などを自答に系列化する既成政党」と共産党を批判してしまいます。党と小田さんの関係悪化の余波を受け1984年 共産党から長時間の査問(追及)を受けます。そして自己批判書を書かされることになりました。その後出版社を追放されることになります。かろうじて党員としては生き残れましたがその後又事件が起きます。

共産党員からの除籍

その後1990年に文化人15人から共産党への提言をもらい出版された”日本共産党からの手紙”の編集をてがけたことで再び共産党の査問が始まりました。当初は上田共産党副委員長も「いい企画だ」と言って賛意してくれてたので始めた企画だったが、いざ出版してみると「赤旗」から3回の連載にわたり批判され、上田副委員長からは「だから(出版を)やめろと言っただろう」と掌返しをうけ言葉を失ったそうです。”政治家はよくはしごを外す”と言いますからね。その後、党の規律違反として共産党を除籍になりました。

2005年に再度上田副委員長と作家小田実さんが対談し和解しました。どういう経緯で和解できたのか説明は無かったそうです。”人生を変えられたものとしては、どうしても解せなかったとおっしゃっています。

ジャーナリスト・コメンテーター時代

1990年代の半ば、統一教会問題に加えて私たちのよく知るオウム真理教のコメンテーターとして活躍されました。日テレ「ザ・ワイド」はレギュラーコメンテーターを務めていました。

オウム真理教事件をかなり前から取材していたわけではなく、知り合いだった江川紹子さんから(お酒を飲みに行く仲だった)よく話を聞いていたので詳しくなっていたということです。

引用:yahoo

政治家への転身

2010年日本新党から民主党に移籍し参議院議員 比例代表から立候補し初当選した。2016年参議院議員2回目当選。
2017年 民進党(民主党+維新+無所属)から立憲民主党へ移籍。2022年立憲民主党比例代表で7議席獲得。有田さんは20人中10番目だったので落選。

この参議院選の前々日に安倍晋三銃撃された事件が起こりました。犯人の動機に旧統一教会への恨みがあったと供述していることで再び旧統一教会が注目を浴びることに。有田さんはワイドショーに登場しています。8月18日立憲民主党の「旧統一教会被害対策本部」の会合で脱会運動に携わっていた宮村峻さんから話を聞く際に、同本部特別参与として同席しました。

2023年3月2日安倍晋三の死去による衆議院山口4区の補欠選挙に立憲民主党の公認候補として擁立することになったようです。

衆議院補欠選挙の擁立候補という話

擁立候補

自民党   推薦候補:吉田真次(35)元下関市会議員

立憲民主党 推薦候補:有田芳生(71)元参議院議員

NHK党   推薦候補:黒川 敦彦(44)NHK党幹事長

お三方の擁立話が出ています。

一般市民の声

Y氏の場合:山口県の一部分しか知らない議員が国を動かす議員になるのはちょっと違うだろう。そういう人も多いけど、若すぎるだろう。

A氏の場:生まれも育ちも他府県の候補っていなくはないけど、知名度があり田舎だから票が集まると思っているのだろうか?それに71歳は年だろう。

K氏の場合:年齢や学歴はちょうどいいけど出身地も違うし、政党の知名度も低い。確実に落選する立候補ってしない方がいいように思う。

まとめ

有田さん惜しかったですね。2位で票も結構1位の吉田さんに近かったですが残念でした。

引用:blogspot
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