張り子の虎は江戸時代から男児の初節句に飾られるようになった
張り子の虎縁起物
虎は1日に千里を歩み、必ず元のねぐらに帰ると言われ大変縁起の良い生き物です。
張り子の虎縁起物意味
・首が動くように作った虎の張り子
・首を振り動かす癖のある人
・虚勢を張る人
張り子の虎とは
張り子の虎は江戸時代に香川県(出雲地方)や島根県(西賛〈せいさん〉地方)で主に作られていました。
型枠に和紙を張り重ね立体的に成型した郷土玩具です。
虎を飾る起源
中国で紀元前の遺跡発掘において虎と龍は特別な存在であったようです。人骨の両脇に貝で作られた虎と龍が一緒に埋葬されていたり、壁画にも山間部にいるヤクをむさぼり食う虎が描かれたりしています。
下記の写真は春雨(しゅんう)という最も美しい鳴き声を持つ”虎”と言われる長方形の打楽器。古代中国の戦場で太鼓と連動して進退の合図に使われていた。
中国民間文化
中国の民間文化の中では、虎の「フ」の発音が”福”を意味する別の「xingfu」”ふ”に似ていることから、幸運のシンボルとされている。
虎の枕や帽子、履物等が縫われています。特に子供の為に作られる習慣があるようです。
虎を飾る意味
若い世代が豊かな運と強さと勇気をもって成長するようにという願いが込められています。
日本に伝来した虎文化
豊臣秀吉が朝鮮半島に出陣した際、九州で有名な武将加藤清正が槍で虎を仕留めたという話があります。実際は鉄砲で仕留めたようですが、黒田長政や菅六之助、吉川広家など秀吉のご機嫌取りに虎狩りに精を出し、革と肉を日本へ送りました。しかし側近の石田三成から「虎の肉がたまったので送らないで下さい」と書状が来たそうです。
*余談ですが加藤清正の当時広めたものは虎以外に、人参と騙されて持ち帰ったセロリの種、と食糧難に陥って食べた軍馬=馬刺しです。現代では熊本県の名産になってますね。
虎は日本には生息していない動物。岸駒(がんく)は虎の絵を得意とした江戸後期の絵師でしたが、中国商人から”富嶽図”を送った礼として虎の頭蓋骨を手に入れ、知人から借りた虎の皮をかぶせて描いたと言われています。
張り子の虎作り方
素人の作り方考察
・各パーツごとに木枠をつくる。(細長い首を持つ虎の頭・胴体に分かれています)
・その木枠に水につけてやわらかくなった再生和紙をちぎって、そのまま張っていきます。水はりという。和紙が重ならないように注意。その上にのりつけした白い和紙を張っていきます。
・天日でカラカラに干します。
・乾燥したら上からカッターナイフなどでまっすぐに切り目を入れて中の木枠を出します。胴体の切り目の所も和紙で張り合わせます。膠(にかわ)に熱を加え少しとろっとしたものに胡粉を混ぜたものを型ぬきした和紙の虎の上に何度か塗っていきます。
・天日で干すと白くなります。また乾くと固くなって丈夫になっています。
・顔料で虎の体に黄色や黒い縞模様を描いていきます。
・最後に首を胴体に縫い付けます。胴体の背中の端っこにキリで穴をあけておきます。首の端を糸で縫い付けその糸を胴体の穴に通して縛る。首がゆらゆらできるようにかげんする。最後の縫い代は胡粉とにかわを混ぜたものの残りを1cmくらい胴体に縫ってその上に貼り付け糸を切るといいみたいです。
*胡粉:カキやハマグリなどを粉々に砕いた白い粉
*膠(にかわ):接着剤として使われる(ゼラチン)
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