
有吉弘行さん生い立ち
1974年5月31日生まれの49歳。広島県安芸郡熊野町出身。サッカーなでしこジャパンがワールドカップで優勝し国民栄誉賞の記念品に貰った”メイク用筆のセット”はここの特産品だったですね。そういうところでお母さんは筆の穂先を作る内職、お父さんは熊野筆の軸部分を製造されていました。4歳下の弟隆浩(たかひろ)さんは元芸人でしたが、現在は広島で「空花詩土(ソラシド)」という花屋さんを経営なさっています。
芸人への道
高校3年の時、X(エックス)テレビの番組をきっかけにオール巨人の弟子のひとりとなる。6か月経過して謹慎処分となった。
弟子時代
ゴルフ場にくっついて行って、師匠は他の人と一緒に行っていたのですぐにでないといけない。脱いだTシャツを「軽くかけといて。」といわれた。「はい」と返事して自分も早く師匠の所へ出て行かないといけないと思ってすぐポーンと部屋にシャツを投げた。僕が鍵を持ってるんで師匠が部屋に帰る前にかけりゃいいわと思っていたら、たまたま鍵かせと言われることがあり「なんや、これ。」「あれ落ちた?」と言い訳。
体力づくりしている師匠を見ていると80kgのベンチプレスをあげてみろと師匠に言わた。力がないわけじゃないけど上がらない。「やっぱりな。おもんないな。」と言われ挽回しないといけないと緊張していて。ゴルフのドライバーを振ってみろと言われると思いっきり振ったため、バーンと折れた。「かげんをしらんのか。」と怒る師匠。
当時弟子としての作業が全くできていなかった。半年たった頃に、昼ごはんは師匠からいただいているので暗黙の了解で1000円までとしていたが、兄弟子が1080円の定食をたのんで「80円は自分が出すからええやん。」と生意気なことを言ったので許せないと殴り合いの大喧嘩になった。隠せないので師匠からお前は弟子に向いてない、1~2年社会勉強して来い。それからまた俺の元へ戻って来いと言われた。正直めんどくせえなと思った。
今思えば18歳の弟子をゴルフに同行させてくれたり師匠は優しかったと思うよ。今の年齢が当時の師匠位なので気持ちがわかる。18歳の少年にああいう風に接すること出来ない。
コンビ芸人デビュー
その後、東京に行き森脇和成とコンビ”猿岩石(さるがんせき)”を組んで勝手に芸能活動開始。TV番組”進め電波少年”で世界をヒッチハイクして旅することで大人気になった。
あの時のヒッチハイクの旅で二人はイギリスに向かうんだけど、中東のイランではカメラを取り上げられ映像消されたり、風呂に入れず下着も汚いままだし、飲まず食わずの時もあり見知らぬ外国でアルバイトしながら公園で(気温15度)野宿したりと、食い入るように二人を日本中の人が見ていましたね。帰って来た時には「ようやった」と褒めましたよ。
再ブレイク
ヒッチハイク後には芸人としては徐々に低迷していき、最終的には仕事が無くなってしまう。コンビ解散してピン芸人として残ったものの低迷期が長く、毎日ダチョウ倶楽部の上島からご飯をおごってもらっていたとのこと。
ものまね番組などをきっかけとして毒舌などがうけレギュラー番組を多数抱える売れっ子になっていきました。
師匠との和解
再ブレイクして有吉さんはダウンタウンDX(デラックス)などの番組でオール巨人師匠と共演され和解されています。
ある番組オール巨人師匠ビデオメッセージ「有吉!芸能界はそんなに甘もうない。のうのうと東京で売れてがんばってるみたいやけど・・。それ、ぼくうれしい。(笑)ずっと僕に会うことビビってるみたいですがついでに今日で弟子はクビです。だから僕のこと関係なしに頑張りなさい。」
結婚
2021年フリーアナウンサーの夏目三久さんと結婚されています。ワンちゃんの散歩に仲良く二人でいかれてることがある様子ですが子供さんの報道は無いですね。
紅白司会
2023年12月31日の紅白歌合戦の司会に決まりました。
ラジオ番組では色々言っているが出演オファーが来ると「はい。」、司会の話が来ました「はい」と言ってしまうと話されていました。
去年の暮れには猿岩石時代の200万枚突破した「白い雲のように」を歌われていました。懐かしかったです、うたもいい♡
年収
2021年は5億超えの日本人の資産家ランキング61位だったようです。
まとめ
オール阪神巨人の巨人が師匠だったと聞いたことはあるが、具体的にどんな弟子だったかを聞くと面白い弟子だった様子がうかがえます。
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