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リサ・マリー・プレスリーの子供・死因・マイケルジャクソンとのつながりなど調べてみました

リサさんには、4度の結婚で4人子供がいます。

引用:AFPBB NEWS  (左:小泉元総理、中央:プリシラ・プレスリー、右:リサ・プレスリー)
目次

リサマリーさん死因

7月13日ロサンゼルス郡監察医は、数年前に受けた減量外科手術後に生じた癒着が小腸を閉塞させ、それがもとで心肺停止したという報告がありました。

リサさんの生い立ち

お父さんのエルビス・プレスリーさんの一人娘がリサさんです。エルビスさんの生涯の方が波乱万丈でした。

父エルビスプレスリー

こんなに長くていいのかというくらいですがすみません。アメリカンドリームな話なので読んで見て下さい。

エルビスさんのお父さんは、暴力をふるう父親の元で育った5人兄弟の長男で、仕事が続かない人でした。15歳で父の逆鱗(げきりん)にふれ勘当され家をでます。その日暮らしのような仕事・生活だったようです。

両親の結婚

そこへ4歳年上の姉さん女房になるグラディスさんがニューヨークからミシシッピー州テューペロへ引っ越してきます。父親が病死して、兄弟・姉妹・母親など7人家族で家計は苦しく、彼女は懸命に働く女子でした。

地域では悪評で有名なプレスリー家の長男ということはあまり知らずに、イケメンだったヴァーノン・プレスリーさんと知り合い結婚します。

兄弟の死

出産するも双子の男子のうち一人は死んでしまいました。亡くなったのは兄のジェシー・ガーロン・プレスリー、生き残ったのはエルビス・アーロン・プレスリーさんです。当時を振り返り生前のグラディスさんが、少年のような夫は何もできず、ただ奥さんの周りをうろうろするだけだった、その時絶望感を味わったそうです。

少年時代の貧困

それからはお母さんは敬虔(けいけん)なクリスチャン(プロテスタント)でもあり、厳格にスイッチが入ったような子供優先の生活をしていったようです。子供エルビスの靴を買っても自分は靴下を重ね履きして歩いていたそうです。

リンゴ好きな母の為を思ってエルビスがtリンゴを盗んだのを許さず農場まで返しにつれていったそうです。男の子がすることだからと穏便に済ませようという農場主の言うことは聞かなかったそうです。

そういった環境で育ったエルビス少年は引っ込み思案で感情を自分の中にため込むような性格となっていきました。

タレントショー入賞

小切手の不当たりを出し3年服役していた父親ヴァーノンさんが出所してきました。

もともとエルビスさんは声が良かったので親戚の集まるパーティーで従妹のアールと”ホタルの光”を歌ったら皆が涙したという話が残っていました。

ある日お母さんが10歳のエルビスさんをタレントショーへ出場させました。カントリーソングの”オールドシェップ”を歌ったところ人々のスタンディングオベーション(観客が立ち上がり良かったよという最上級のほめ方)する姿があったとか。

2位に輝き賞金5ドルをもらい母親に渡したときの喜びがあったようです。

ギターとの出会い

11歳の誕生日に「ライフルが欲しい」というエルビス少年に、夕食を切り詰めてためた貯金でお母さんがギターをプレゼントしたそうです。はじめ興味なかったが貧困家庭のいじめや引っ込み思案な性格もあり、地下の洗濯部屋で練習しました。

メンフィスへの引越

父親のヴァーノンさんが再び密造酒の運搬をしていて逮捕されました。当時の保安官があまりに貧困なのを気の毒に思ってか150ドル保釈金を支払うのと引き換えに「すぐにこの町を出て二度と戻ってくるな」といわれました。

ちょうどその頃、身を寄せていたグリーンウッド家が農場と乳製品加工場をたたみ、ガソリンスタンドを始めることになりました。テネシー州第2の都市メンフィスに出店する際、お父さんのヴァーノンさんを従業員として雇う約束をしてくれました。そして一家はすぐに街を出ました。

生活保護生活

メンフィス時代はお母さんがキリスト教プロテスタントの信者でもありエルビスも9歳の時に入信しています。

グリーンウッド家の世話にならない方針の父、生活保護を受けることになった一家はロウダーデールコート公営住宅に住むことになります。メンフィスは黒人労働者が多く住んでいる所だったので当時、黒人の多いところに白人一家が住むのは珍しかったそうです。

サン・レコードとの出会い

黒人の音楽性などがその頃吸収されていったようです。エルビスさんは、映画のもぎりや電気工事等の仕事をしていました。

ゴスペルの空いた要員として歌う機会がありました。1953年サン・レコードが発掘した彼は、そこのレコード会社に両面デモ・アセテート盤を4ドル払ってから録音してもらっています。

デビュー

その時、創業者のサム・フィリップさんとアシスタントのユリオン・ケイさんはエルビスさんの才能を見抜きました。そして、1954年に行方不明の歌手の代わりにプレスリーを呼びました。

他の歌手と共に売り出すことにしました。そして、徐々に腰を振るスタイルで歌うエルビスさんは、若者たちに絶大な人気を博し売れっ子となります。

当時は不良として扱われるお堅い時代でしたから、親世代からは大ブーイング。人種差別もありバックコーラスの黒人シンガーが興行主から出演拒否されると自分も出ませんというくらいだったそうです。

兵役と母の死

1958年3月、当時は徴兵制だったので特別枠でなく一般と同じに兵役に就くことになりました。西ドイツのアメリカ陸軍の基地へ派兵されて行きます。同年8月にお母さんが肝炎をこじらせ危篤になります。戦車隊として専門教育中だった為、外出許可申請が通らなかったものの8月12日許可が下り、帰宅後14日に亡くなり15日葬儀が行われました。

妻プリシラとの出会い

ぽっかり空いた精神的な穴を埋めるかのようにパーティーで知り合った当時14歳だったプリシラさんと出会います。義理のお父さんは西ドイツアメリカ基地所属の部隊長(プリシラさんの実父は他界しており義理の父に当たる)でした。

14歳の少女を24歳の兵役中のエルビスさんがドライブに誘って帰りが夜だったので、義理のお父さんから告発すると言われエルビスさんは懸命に説得するんですね。

「自分のお金で彼女を父(ヴァーノン)のところからカトリックの女子高に通わせます、そしてきちんと卒業させますから彼女を嫁にください。」ということを約束しまして許してもらえるようになったそうです。

新婚生活

その後プリシラさんをメンフィスで暮らせるようにしましたが、まもなくエルビスさんの”ハートブレイクホテル”があたった翌年1957年に購入した豪邸グレースランドマンションでふたりは暮らし始めす。

現在は離婚したけどプリシラさんがエルビスCEOを務める一大観光地の一つになっています。世界中からファンがやってくるギネスにも載っています。

ヴァーノンオフィス(父の事務所)、トロフィービルディングなどいろんな建物があり、上空からはパラソルが並んでいたり素敵な家です。

そこに結婚前8年間、結婚して離婚するまでの6年間、合計14年間くらいここで暮らしています。もちろんプレスリーさんの両親も一緒に(お母さんは一年位、住んでおられました)。

そして悪徳マネージャーのパーカー大佐(エルビスさんの収入の50~70%をとっていたこと、出生をオランダ人だったがアメリカ人孤児と偽り兵役に着いたり、サーカスなどで司会で働いた後、カントリー歌手などのマネージメントしていた。同じくかなり利益をかすめ取っていた)も住んでいました。

引用:sankeibiz グレイスランドマンション

リサマリー出生と離婚

リサ・マリー・プレスリーさんはそこで1968年2月1日生まれました。4歳までそこで育ちますが、お母さんが空手家と浮気したことで離婚になってます。

背景を見ると、婚前からエルビスさんの(芸能人の昼夜逆転した)生活習慣、メンフィス・マフィア(エルビスの取り巻き)といつも一緒の生活、さらに年間何か月にも及ぶツアーによる別居生活。

待つつらさや、モデルなどの仕事に興味があったプリシラさんに夫プレスリーさんは「女房は家を守るべき」という頭の古い男(昔の日本もそういう夫多かったですね。)等様々だったようです。

リサさんの孤独

離婚後のプリシラさんは色々な方とお付き合いや同棲されていました。リサさんは多感な時期にはそんな人間関係に悩まされドラッグなどに溺れるようになりました。学校も点々として過ごされたようです。

エルビス・プレスリーさんは、娘さんのリサさんが幸せに育つようにという配慮から離婚後もことあるごとに元妻に連絡し(精神的にも頼っていたようです。)この豪邸で元家族が一緒に過ごすこともあったようです。エルビスさんとリサさんは頻繁に会っていたので、亡くなった日もガールフレンドが発見しましたが、リサさんも泊まっていました。

リサ・マリー・プレスリー4回の結婚

4回の結婚で4人の子供を出産されています。最初の結婚は20歳。

最初の夫は、ミュージシャンのダニー・キーオさん。1988年に結婚し1994年(26歳)離婚、6年の結婚生活の中、娘さんのライリー・キーオさん、息子さんのベンジャミン・キーオさんが誕生しています。息子さんは2020年ショットガンを口にくわえ発砲し自殺されています。ショックですよね、リサさんもしばらく立ち直れなかったようです。

2回目は離婚後すぐに歌手のマイケルジャクソンさんと結婚。友情結婚みたいでしたが、ファンが傍から見るとプレスリーという名前が良かったんかいな?友情結婚みたいな?違和感満載でした。1996年(26歳)に離婚。マイケルジャクソンのお姉さんの(ラトーヤジャクソン?)だったか整形した顔や白さが同じようなマイケル・リサ・姉の3ショット写真を見たことがあります。離婚されたときマイケルには悪いけどリサさん元の生活に戻れてよかったねと思いました。

3回目はプレスリーの大ファンだったというニコラスケイジと結婚。トロフィーワイフみたいという噂がありました。これも3か月でスピード離婚。

4回目はマイケル・ロック・ウッドさんと2006年8月5日に京都で結婚。2008年40歳で頑張って双子姉妹を出産。フィンリーとハーパーちゃん。

2016年48歳の時、離婚申請されています。裁判で金銭面、養育などをめぐり争っています。その後2023年1月12日カリフォルニア州カラバサスの自宅寝室で小腸癒着からくる閉塞、それがもとで心心肺停止。救急搬送されたが助からず享年54歳でした。残されたのは娘のライリー・キーオ(34歳)とフィンリー、ハーパーの姉妹(14歳)、母プリシラさん(77歳)。

リサ・マリー・プレスリーの兄弟

リサ・マリ―・プレスリーさんのお母さんのプリシラさんはお父さんのエルビスさんと離婚後、離婚原因の一つになった浮気相手の空手家の方や、ダンサーさん、など数人の方と同棲やお付き合いされています。1977年エルビスさんが亡くなられて10年後の1987年3月1日にノートス・ナヴァロン・ガリバルディアさんを出産されています。リサさんの19歳下の異父兄弟ですね。

歌手活動

2000年代に歌手活動は活発にされています。結構上手です。

ディスコグラフィー[編集]

引用:You Tube ・cltix76

アルバム[編集]

  • To Whom It May Concern(2003年) #5 U.S., #41 UK
  • Now What(2005年) #9 U.S.
  • TBA(2008年)

シングル[編集]

  • Lights Out” #16 UK, #34 U.S.(2003)
  • Sinking In”(2003)
  • Dirty Laundry” #36(2005)
  • Idiot”(2005)
  • In The Ghetto”(with Elvis Presley)[3] #116 USA(2007)

                                 引用:ウキペディア

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